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PETE TOWNSHEND ピート・タウンゼント

エンプティ・グラス
All The Best Cowboys Have Chinese Eyes

SHM CD2010年1月20日発売
TECI-23588 ¥2,480(定価)

SHM-CD 


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  • ピート・タウンゼントとThe Whoについて

再びプロデューサーにクリス・トーマスを起用し、前作のスタイルを踏襲した形で制作されたソロ3作目。ニューウェイブを意識したエレクトロニクス・サウンドを大胆に導入し、バラエティにとんだ楽曲を披露した意欲作。自身の麻薬中毒や離婚問題など多くの問題を抱えていた当時の心情もストレートに反映されている。ボーナス・トラックとして2曲のライブ・テイクを追加収録。

1. ストップ・ハーティング・ピープル
2. シー・リフュージズ・ノー・リバー
3. プレリュード
4. フェイス・ダンシズ・パート・2
5. エクスクイジットリー・ボアード
6. コミュニケーション
7. スターダム・イン・アクタン
8. ユニフォームス
9. ノース・カントリー・ガール
10. サンバディ・セイブド・ミー
11. スリット・スカーツ

[ボーナス・トラック]
12. シー・リフュージズ・ノー・リバー(ライブ)

この曲はライブ・アルバム「Live at La Jolla 1 Recorded 23rd June 2001, La Jolla Playhouse,California」からの収録です。

13. スリット・スカーツ(ライブ)
この曲は「Live at The Fillmore Recorded 30th April 1996, Fillmore West, San Franscisco」からの収録です。

 全ての始まりは62年のことだった。学校を退学処分となった、ロジャー・ダルトリー(Vo)がディトワーズを結成。まもなく、ジョン・エントウィッッスル(B)が参加。ジョンの紹介でアート・スクール在学中のピート・タウンゼント(G)が参加。64年、ディトワーズからザ・フーに改名。あるギグに来ていたキース・ムーン(Dr)がバンドに参加することに。その後ハイ・ナンバーズと改名し、7月、デビュー・シングル「アイム・ザ・フェイス」をリリース。この年の10月、バンド名を再びザ・フーとする。
 65年1月デビュー・シングル「アイ・キャン・エクス・プレイン」をリリース(全英第8位)。ここから彼らの快進撃は始まった。5月にはセカンド・シングル「エニウェイ・エニハウ・エニウェア」リリース(全英第10位)。11月にリリースしたサード・シングル「マイ・ジェネレーション」は全英チャート第2 位を記録。そして満を持してのファースト・アルバム『マイ・ジェネレーション』発表(日本盤はテイチク・レコードから66年にリリース。プロデューサー、シェル・タルミーとの確執の為にその後2002年になるまで日本盤は廃盤状態であった)。このアルバムは全英第5位を記録する大ヒットとなり、当時の若者を代弁するバンドとして、そのエネルギッシュなパフォーマンスとともに彼らは一躍時代の寵児となる。その後の彼らの活躍はご存知の通り。

 彼ら常に時代の先端を行き、新たな挑戦をしてきた。伝説的なライブをいくつも残してきた(67年6月、モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演。この日の演奏は記録映画に収められ、世界中で公開された

 69年8月、『ウッドストック』に出演。この模様は映画となって翌年公開され、ライブ・バンドとしての彼らの素晴らしさを知らしめるものでもあった。70年5月リリースの伝説のライブ・アルバム『ライブ・アット・リーズ』は全英3位、全米4位を記録。)。

 “ロック・オペラ”という新たなジャンルを作り出したのも彼らだ。(69年5月発表のアルバム『トミー』(全英2位/全米4位)は映画化、そしてミュージカル化されロンドンのレインボー・シアターや、ブロードウェイ他にて上映された。いよいよ2006年、日本にも上陸決定!)
また、“コンセプト・アルバム”という言葉を定着させたのも彼ら。(73年11月発表のアルバム『四重人格』(全英2位/全米2位)は『さらば青春の光』として映画化され、今なお多くの若者たちに影響を与え続けている)